★2002/07/16(火)★
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〜本能寺の変における黒人兵士〜

みなさん、おはようございます。ノビタです。
あ〜、大河ドラマの「利家とまつ」で、織田信長が死んじゃいましたね。
私は土曜日の13時から1週間遅れて見てるので、この前が本能寺の変でした。

そうそう。ドラマの中で織田信長は口癖のように「で、あるか」と言っています
が、確かにそうだった可能性があります。というのも、信長公記に以下の記事が
あるのです。以下は、信長と斎藤道三が初めて面談した時の話です。

正徳寺で、信長が座って待っていると、斎藤道三が遅れて出てきました。
しかし、信長は知らん顔をして、道三を無視します。たまりかねた道三の部下が
「こちらが斎藤道三です」と言うと、信長は「であるか」と答えたそうです。
まぁ、これは小ネタですね(笑)

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それはともかく、みなさん、本能寺の変で黒人兵士がいたことを知ってますか?
あまり知られていない話だと思いますが、今回は、日本という異国の地で、運命
に翻弄された異国人についてお話しましょう。


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〜黒人「弥助」の戦い〜

1581年。これは本能寺の変の1年前ですが、キリスト教宣教師ヴァリニャーノは
黒人を連れて織田信長に会いました。信長公記にはこう書いてあります。

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「キリシタン国より黒坊主がやって来た。年齢は26、7歳のように見えた。
 全身が真っ黒で、牛のようである。」
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信長は初めて黒人を見て、大いに驚きました。
最初は「全身に墨を塗っているのだろう」と信じなかったそうです。
黒人を裸にして確かめて、やっと信じたといいます。信長らしいですよね(笑)
信長は彼を気に入り、「弥助」と名付けて、自分の家来にしたのです。

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さて、本能寺の変の時、弥助は京都の二条城にいました。
そして、信長の長男、織田信忠とともに明智軍と戦ったのです。

しかし多勢に無勢。信長は本能寺で切腹し、信忠も二条城で切腹しました。
弥助は二条城で奮戦し、明智軍を10人ほど倒したのですが、結局、最後は明智軍
に降伏したのです。

捕らえられた弥助は明智光秀のもとへと連行されました。
光秀の部下は、光秀にたずねます。
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「この黒人奴隷を、どのように処分いたしましょう?」
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すると光秀はこう答えたのでした。
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「黒人奴隷は動物だから、何も分かっていないし、日本人でもないので殺す必要
 はない。南蛮寺にでも置いておけ。」
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ちょっと説明しましょう。南蛮寺とはキリスト教の教会のことです。
当時、日本には教会だけでなく、神学校までがありました。そして、そこではラ
テン語、ポルトガル語、宗教学、倫理学、日本文学、書道、体育、音楽などが教
えられていたのです。

驚くべきは、体育の授業のために運動場や海水浴場があり、音楽の授業では、
なんとハープシコードやオルガンまで習っていたことです。当時、神学校の中で
オペラが演じられていたとも伝えられています。

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こうして弥助は南蛮寺に預けられました。恐らく命は助かったのでしょう。
しかし、その後の彼の消息は不明です。とりあえず、私は知りません。

日本という異国の地で、運命に翻弄された弥助。
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彼はなぜ、信長のために戦ったのか?
そして、彼の目に、本能寺の変はどのように映ったのか?
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私は一度、彼の気持ちを聞いてみたいと思います。


PS.これを書いていて、奈良時代に運命に翻弄された異人を思い出しました。
   次回、彼について書きたいと思います。